農のオーベルジュ 白金の森

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父からもらった言葉が、私の「芯」になった

【第一話・幼少期〜旅立ち】

こんにちは。「白金の森」代表/「コッコファーム」会長の松岡義博と申します。私が選んだ「道」を、これから月1回シリーズで紹介してまいります。どうぞ宜しくお願いいたします。
 

小学校1年生の義博

まずは、私の自己紹介から。
4人兄弟の長男として熊本県菊池市の片田舎で生まれ、2019年1月に古希を迎え70歳になりました。
 

父 永蔵65才 母 サチ63才当時

わが家はもともと農家ではなく祖父は大工でした。父(永蔵)は養子で、母(サチ)と結婚したことで松岡の性になり、その後、農業を少しずつ始めたようです。私たち子どもは、家事の手伝いを役割分担。学校よりも両親の手伝いをすることが日常でした。私は長男ということもあり、両親と共に農作業をすることが多く、弟妹は、外仕事から帰ってくる私たちを待ち、一緒に食事をするのが私たちの日課でした。
働き者の父がよく言っていた言葉があります。
「1円を笑うものは1円に泣く」
この言葉が、私にとって父から受け取った財産です。
汗水流して、苦労して、やっといただけるお金。
農家にとっては、長い時間をかけて、
丹誠込めて作った野菜たちが売れて、やっといただけるお金です。
お金の大切さを、この言葉とともに、私に教えてくれたのです。

……あれから何十年も経った今思い返しても、
たかが1円、されど1円。
お金の大切さを身にしみて感じている今日この頃です。

こういった父からの言葉・想いを素直に純粋に受け取っていた私は、裕福ではなく、学校よりも農作業…という我が家の生活を、「貧しい」とは思いませんでした。両親が一生懸命に子育てをし、生計を立てていくために頑張ってくれていることに、ただただ感謝の思いばかりです。

このような生活を送りながら中学校へと進みます。中学2年のある日のこと、父から告げられたのでした。それは、「義博、お前は長男だから、跡を継いでくれ。高校には行かなくていい」……と。

私は、勉強よりも家の仕事をしていたので、「それでもいい」と思いつつも、同級生のほとんどは高校に進学します。「私だけが取り残されはしないか…」と不安になり、1年間だけ専門学校でもいいから通わせて欲しいと頼みます。そんなワガママは叶い、農業の専門学校「熊本県経営伝習農場」(現「県立農業大学校」)に通うことになりました。寮生活で仲間と苦楽を共にした1年間で得たものは「仲間意識」。困難な時こそ、結束して行動する大切さを教わりました。今でも、この仲間と語り合うことが人生の生きがいです。

県経営伝習農場時代

学校で学んだのは、近代的な平坦地での農業のカタチです。卒業後、後継者として歩み始めるも、我が家のような中山間地での農業の難しさを身をもって体感し、たったの1年で離農。それから約3年間は、東京・横浜など11種類もの職を転々とし、「日産自動車」に勤務することになりました。ここでは、日産を満勤しつつ、アルバイトで昼夜仕事をしました。その当時は、今の「働き方改革」等の考えはなく、ただお金だけのために身を粉にして働いた時代です。
ある日、夜勤をしていた深夜2時頃、機械に手を挟まれ大怪我をしました。丁度、19歳の頃です。働きづくめだった時間は一変し、それから2カ月間は入院生活を送ります。この時、人生を変える大きな決断をしたのです。

「波瀾万丈の人生、これからどうするんだろう…」と自分に問いかけ、過去を振り返ります。「農業を離農し、親にも迷惑をかけっぱなし。都会に出て、都会と田舎の違いも知る事が出来た」。考えた結果が、「本当は、『田舎大好き人間』なんだ」と。その時湧いて来た
「過疎の村を宝にしたい」
という想いと共に、新たな農業への挑戦が始まるのです。
次回からは、「コッコファーム」を創業したきっかけや、50周年を迎えた今、新たな「白金の森」を展開している想いを随時シリーズでご紹介してまいります。
皆様からのご意見・ご感想をお寄せください。
 
(株)白金の森 代表
(株)コッコファーム 会長
   松岡義博
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